Archive

2070年

これは、いつごろ建てられたビルであろう。
半壊したがれきの下で、祖父は孫に語りかけている。

「50年前まではな。
好きな仕事をして、好きなものを食べ、
飛行機に乗って遠くに行けたんだ」

「ヒコーキってなに?」

「ふつうの人が乗れた、空を飛ぶ乗り物さ。
ほら、じいちゃんのも食え。
きのう獲った自然薯だ。」

「え、あの光線をだす乗り物で、遊びに行けたの?」

「そうだ。戦いだけの乗り物ではなかった。
海の向こうにな、自由に行けたんだ。
じいちゃんもな。若い頃よく乗ったんだ。
人類が1番幸福だった頃かもしれんな。
さあ、食ったら寝ろ。
あすも食い物を探しにいくぞ」

「待ってよ。回線を切らないと、
また革命戦線の兵士に襲われちゃうよ」

2070年。
きょうも澄みきるように空は蒼く、
焼け焦げた街の風景は変わらない。
たしかこのあたりは
大きな電波塔があったところだと思う。

50年前のウイルスの蔓延で世界は一変した。

口火を切ったのはアメリカだったが、
この国はすでにない。

世界で最も多く死者を出した怨嗟と
経済を取り戻す大義のもと、
前例のない規模の軍需生産を始めた。
いつの時代も戦争は金になる。

アジア連合以前の中国、そして中国寄りの国に
言い掛かりをつけて攻撃を開始した。
引きづられるかたちで
同盟国も参戦せざる負えなかった。

ウイルスに打ち勝った平和な“はず”の空のもと、
あらゆる国家を巻き込んだ大戦が始まった。
恨みと賠償を要求する戦いで
人類は自ら後退した。

地球は、何もしていない。

あの当時、本来の敵であるウイルスに
勝ったのだけは間違いない。

医学の力は、
平穏な日常を取り戻すことだけを望み、奮闘し、
2020年から始まった戦いに勝利した。
ワクチンと特効薬の開発に成功した。

最悪の飢えが原因で、
暴動・略奪を起こす失職者があふれた街には
「薬の開発に成功した」というニュースに歓喜したが、
食糧の争いに歯止めは掛からなかった。

もちろん、機能不全を起こしていた政府にも
一筋の光が差していた。
混乱の当初は、まだまだ慣れきった
「あたりまえの幸せ」を維持するために、
収入を失った人々や企業に給付金を出したが、
もちろん長くは続かなかった。

当時、給付金は税収から成り立っていた。
税の原点は穀物であって、配りきれば枯渇し、
疲弊した企業からの税収は途絶え、
やがて限界を迎えた。

理由はわかっている。

このウイルスは、世界最古の仕事までを奪っていた。
売春と占いであろう。
接触が出来なければ仕事にならず、
事前に占えねば仕事にならない。

人類はあまりにも大きな転換を迎え、
それに備えた人間は少なかった。
「他人のせい」に忙しかった。

そして、
「いつか収まるだろう」
「だれかが何とかしてくれるだろう」という
楽観気分はつぎつぎと打ち砕かれ、
あの春から徐々に追い詰められた。

人は幸福に慣れやすいが、苦難には慣れにくい。

特効薬ができたというニュースで
世界に安堵の様子が見られたが、
本当の最悪は、安心のあとに訪れた。

誰かが、こう言い出してから地獄がはじまった。
「悪いのは誰だ?」

この手記は2070年の4月、
いつごろ建てられたかわからないビルの
がれきのふもとで書いている。

「新たな正義」を名目に、
革命戦線の兵士が
略奪のためにうろついている。

このような50年後に、
2020年のあなたがたが来る必要はないと思う。

ただ、来るかを来ないかを選べるのは
「他人のせいにしなかった」
意思のある人だけだ。

Archive