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採用について

ZECCA / 株式会社ゼッカは、
下記領域において人材を募集します。

●職種 : ウェブデザイナー、ウェブコーダー、エンジニア
●年齢 : 20〜30代
●勤務地 : 小松本社・富山支社・リモート
●勤務時間 : 月〜金 8:00〜17:00 ※残業無し
●給与 : 月額 280,000円〜
●社会保険 : 健康保険・雇用保険・労災保険・厚生年金
●休日 : 土・日・祝、夏期・冬季休暇
●連絡先 : info@zecca.jp

デザインを愛してやまない方との出会いを
お待ちしています。

読書の書

本は、読むものではない。
使うものである。

赤線を引いて満足してはいけない。
どうせ次の日には覚えていない。

乱読して満足してはいけない。
SNSで読了報告をしても
たいして映えない。

本は、読むこと自体に価値はない。
本は、使用して初めて価値が発生する。

あらゆる著者の哲学は、
自分の無知や傲慢、怠惰を教えてくれる。
デバイス片手にメモを取り
Cloud上に自分だけの書庫をつくる。
時間があれば読み返しを繰り返し、
淀んだ主観を洗濯する。

言葉に新たなキレが増す。

年末年始、遊びはなし。
独所の読書を過ごす七日間。

世間が休むあいだに研ぐ爪は、
名著を使い倒して磨き抜く。
仕事はすべて仕入れで決まる。

最悪の休暇が
最高の一年を与えてくれる。

顧客は花火

お客さまは、
不満があると
怒り、文句を言い
思いの丈をぶつけてくれる。

なんて、
都合のいい夢物語である。

お客さまは、
黙っていなくなる。
美しく、跡を濁さず
ほかへゆく。

文句を言ってくださるうちが華。

小言もなにも
おっしゃらなくなったら
あぶない。

散り際は、花火のように儚い。

Z旗

「難攻不落の地、加賀の国では小松あたり」ー

福井北部から南加賀にかけて
明智光秀の口伝が残っている。

ある大名に招かれた光秀が、
「日本の要害の地はどこか」と
尋ねられた際の逸話らしい。

当時、そのあたりは湿地帯でぬかるみが多く、
中心に据えられた小松城は
芦(あし)に囲まれた天然の要塞をなしていて
芦の浮き城、芦城(ろじょう)と呼ばれた。

土地柄は、せまい。

もともと、浄土真宗の信仰が異常なほどに強く、
守護職の富樫氏が倒れたあと
百年ものあいだ武士の介入を許さずに、
農民が支配するというふしぎを
母体に孕んでいる。

時代は江戸、前田氏の治世へくだる。

武士は金沢、職人は小松。
小松城下には多くの職人長屋が置かれた。

金物を打つ音がひびく中でも
物事を短く、端的に伝えるために
口語は自然と荒く、鋭くなり、
「小松弁はきたない」ゆえんは
ここから生まれている。

武家文化の金沢人と比べると
“お上”をうやまう気持ちは季春の氷のようにうすく、
明治維新の最中も
町人のほとんどが日和見をきめこみ
誰も足跡を残していない。

時はさらにくだる。
日露戦争。

風は、北西からふいている。

対馬沖で起った日本海海戦も
日本は、日露の橋を根本から砕くような
作戦を練り上げて海上を舞い、
わずか半日でバルチック艦隊を殲滅した。

小松人、
その日も変わらず日和見で
白山を愛でている。
戦火よりも、雪どけの緑光を好むようである。

日本艦隊は、
勝利を意味するZ旗を
マストからゆっくりと降ろし、
本国へ帰港している。

ZECCAの「Z」旗も
風もないのにゆらぎをやめない。

値打ち

年頃は、
22、23歳くらいの女が
盆すぎの夏空の下を
となり町まで歩いている。

「もうし、米がほしいげんけど」

その、訪ねたあたりは
いまも向本折(むかいもとおり)という
地名で残っており、
広々とした田園の南には
今江潟という沼地があった。

女は、
田を持っている家に
米を求めた。

「米?おまえは何をもっとるがじゃ」

「ゼンじゃ」

「ゼン(銭)?そんなもんいらんわいや。
ほかに何があるがや」

「病院に行けば、何かあるかもしれん」

「ほんなら、箪笥のきもん(着物)持ってこいさ」

「わかった」

空蝉が鳴く道を
ぼんやりと戻ったであろう。

やかましく音をたてる飛行機が
西のほうに幾重か見える。
それは、この前まで竹で突けと言われた
進駐軍のもので、
この国の翼は、首からもがれてすでに無かった。

「病院から、きもん持ってきた」

「こりゃ値打ちねえわ。
米は、やれん。
そこにあるネギ持ってけや」

「ネギか」

看護婦として勤めた病院から
持ってきた着物が
一合の米にもならない。

女は、もう戻るのも
寂しいやら面倒やら
何とも言えぬ気持ちになり、

「わかった。ネギでええ。ほしい」

と言った。

家の人間が
あごでしゃくった先にあるのは
ネギではなく、ネギの剥き皮だった。

「いやなら、帰れや」

日本円が値打ちを失った
75年前の夏、
祖母が体験した話だ。

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