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顧客は花火

お客さまは、
不満があると
怒り、文句を言い
思いの丈をぶつけてくれる。

なんて、
都合のいい夢物語である。

お客さまは、
黙っていなくなる。
美しく、跡を濁さず
ほかへゆく。

文句を言ってくださるうちが華。

小言もなにも
おっしゃらなくなったら
あぶない。

散り際は、花火のように儚い。

Z旗

「難攻不落の地、加賀の国では小松あたり」ー

福井北部から南加賀にかけて
明智光秀の口伝が残っている。

ある大名に招かれた光秀が、
「日本の要害の地はどこか」と
尋ねられた際の逸話らしい。

当時、そのあたりは湿地帯でぬかるみが多く、
中心に据えられた小松城は
芦(あし)に囲まれた天然の要塞をなしていて
芦の浮き城、芦城(ろじょう)と呼ばれた。

土地柄は、せまい。

もともと、浄土真宗の信仰が異常なほどに強く、
守護職の富樫氏が倒れたあと
百年ものあいだ武士の介入を許さずに、
農民が支配するというふしぎを
母体に孕んでいる。

時代は江戸、前田氏の治世へくだる。

武士は金沢、職人は小松。
小松城下には多くの職人長屋が置かれた。

金物を打つ音がひびく中でも
物事を短く、端的に伝えるために
口語は自然と荒く、鋭くなり、
「小松弁はきたない」ゆえんは
ここから生まれている。

武家文化の金沢人と比べると
“お上”をうやまう気持ちは季春の氷のようにうすく、
明治維新の最中も
町人のほとんどが日和見をきめこみ
誰も足跡を残さなかった。

時はさらにくだる。
日露戦争。

風は、北西からふいている。

対馬沖で起った日本海海戦も
日本は、日露の橋を根本から砕くような
作戦を練り上げて海上を舞い、
わずか半日でバルチック艦隊を殲滅した。

小松人、
その日も変わらず日和見で
白山を愛でている。
戦火よりも、雪どけの緑光を好むようである。

日本艦隊は、
勝利を意味するZ旗を
マストからゆっくりと降ろし、
本国へ帰港している。

ZECCAの「Z」旗も
風もないのにゆらぎをやめない。

値打ち

年頃は、
22、23歳くらいの女が
盆すぎの夏空の下を
となり町まで歩いている。

「もうし、米がほしいげんけど」

その、訪ねたあたりは
いまも向本折(むかいもとおり)という
地名で残っており、
広々とした田園の南には
今江潟という沼地があった。

女は、
田を持っている家に
米を求めた。

「米?おまえは何をもっとるがじゃ」

「ゼンじゃ」

「ゼン(銭)?そんなもんいらんわいや。
ほかに何があるがや」

「病院に行けば、何かあるかもしれん」

「ほんなら、箪笥のきもん(着物)持ってこいさ」

「わかった」

空蝉が鳴く道を
ぼんやりと戻ったであろう。

やかましく音をたてる飛行機が
西のほうに幾重か見える。
それは、この前まで竹で突けと言われた
進駐軍のもので、
この国の翼は、首からもがれてすでに無かった。

「病院から、きもん持ってきた」

「こりゃ値打ちねえわ。
米は、やれん。
そこにあるネギ持ってけや」

「ネギか」

看護婦として勤めた病院から
持ってきた着物が
一合の米にもならない。

女は、もう戻るのも
寂しいやら面倒やら
何とも言えぬ気持ちになり、

「わかった。ネギでええ。ほしい」

と言った。

家の人間が
あごでしゃくった先にあるのは
ネギではなく、ネギの剥き皮だった。

「いやなら、帰れや」

日本円が値打ちを失った
75年前の夏、
祖母が体験した話だ。

位打ち

利益が出るほど
経営者は自分の力を過信し、
気位が上がりやすい。

位打ち(くらいうち)という。

もとの意味は、
「位を昇らせてゆけば
人間がだめになってゆく」ことを
知っていた朝廷が、
武家の棟梁に使った手法を指す。

むかし、鎌倉幕府を開いた源頼朝が
京の公卿衆からこの位打ちの目にあい、
懸命にそれを回避し、断り続けた。

信長の死後、
豊富秀吉も徳川家康を臣従させようと
位打ちにした。

経営者は、
自分から自分に発せられる位打ちを
回避し続けなければならない。

意図しないと出来ない。

コミュニケーションエラー

経営者は、
自分の事業を
考えに考えぬいて
考えすぎているので、
当然、顧客にも
魅力が伝わっているものと
錯覚する。

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