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なぜ、淀君を

豊臣秀吉という人は
人望という、人間の綺羅の部分を
きわめて錬金した人で、
また、そうでなければ
卑賤の身分から天下人として輝くのは
成し難かった。

没後、秀吉好きの武将たちが
豊臣家に味方して
大阪城の世子 : 秀頼の元に参じた。
母は、淀君で、彼女は
織田信長の姪にあたる。

大阪という商都も、
秀吉の治世の栄華を
あざやかに記憶してした。

堺の貿易は、
街を富ませ、国中に黄金をもたらした。
後の、徳川幕府は
世界を遮断したため
堺の街からは
火が消えたようになったという。

「太閤はんの、世にもどりたい」

大阪において
家康の、陰険な策謀から
滲みでた不人気ぶりは
相当なものに違いない。

秀吉のもつ天性の明るさ
金の輝きは、
家康の影を漆黒に染め上げた。

人は、明るい方にあつまる。

が、大阪の陣で
豊臣家は地球上から消滅した。

多くの、史観や研究では
豊臣は勝てたのではないか、
では、負けた理由は何だったのか、
戦術か、戦略か、  
真田幸村が、大野修理が、と
これまで、物語に割かれた稿数は
一冬の雪では足りない。

ただ、平時にも乱時にも
人は、あまりにも単純なことほど
考えが及ばないらしい。
主観は、俯瞰をうばう。
要因の表現は、一行で事足りる。

なぜ、淀君を殺さなかったのか。

母上様から
病的な命令がくだる度、
秀頼も、諸将も身動きがとれず
結果、四万人以上を道連れに
豊臣家は滅亡した。

家康は
茶臼山で
茶を飲んでいたという。

一年の計は元旦にない

一年の計は元旦にない。
元旦だけではとてもたりない。

毎年、元日前後の1週間は
追い込んで勉強する。

朝7時からする。

正月もする。

まわりが、杯を含んでる間にする。

まわりと、まざらないように
誰もやらないことをやる。

まざると、比較される。

比較には、
競争が発生する。
競争は消耗する。
競争は不毛を生む。

まざるな、危険。

「みんなが遊んでるうちにやれよ」

20歳のときに
先輩から受けた言葉を
忘れないようにしている。

このような寒中を過ごして
17年を数えた。

有難うに、ありがとう

年頃は、
22、23歳くらいの女が、
盆すぎの夏空の下を
となり町まで歩いている。

「もうし、米がほしいげんけど」

その、訪ねたあたりは
いまも向本折(むかいもとおり)という
地名で残っており、
広々とした田園の南には
今江潟という沼地があった。

女は、
田を持っている家に
米を求めた。

「米?おまえは何をもっとるがじゃ」

「ゼンじゃ」

「ゼン(銭)?そんなもんいらんわいや。
ほかに何があるがや」

「病院に行けば、何かあるかもしれん」

「ほんなら、箪笥のきもん(着物)持ってこいさ」

「わかった」

空蝉が鳴く道を
ぼんやりと戻ったであろう。

やかましく音をたてる飛行機が
西のほうに幾重かに見える。
それは、この前まで竹で突けと言われた
進駐軍のもので、
この国の翼は、首からもがれてすでに無かった。

「病院から、きもん持ってきた」

「こりゃ値打ちねえわ。
米は、やれん。
そこにあるネギ持ってけや」

「ネギか」

看護婦として勤めた
病院から持ってきた着物が
一合の米にもならない。

女は、もう戻るのも
寂しいやら面倒やら
何とも言えぬ気持ちになり、

「わかった。ネギでええ。ほしい」

と言った。

家の人間が
あごでしゃくった先にあるのは
ネギではなく、ネギの剥き皮だった。

「いやなら、帰れや」

75年前の終戦の夏、
祖母が体験した話だ。

有ることが難しいことを
有難い(ありがたい)と言う。
あたりまえの日常に、もういちど。

有難うに、ありがとう。

目的は何か

お金というのは
いわゆる権利書であるから、
「権利書を目的に生きる」と
字面にしてみると
急に儚く見える。

権利書の価値は
他者が決定し、変動する。

中庸無し

基本的に人間は
プロとアマチュアの
二種類にわけられる。

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